• はじめに
  • デカンショ節の由来~篠山町七十五年史~
  • デカンショ節の由来~篠山町百年史~
  • 「デカンショ」の語源~篠山町七十五年史~
  • 「デカンショ」の語源~篠山町百年史~

「デカンショ」の語源

篠山町七十五年史(1955)

「デカンショ」という囃の根拠は「出稼しよう」で酒屋出稼から生まれたものだとか、或いは又、東都に学ぶ鳳鳴出身の学生たちが、デカルト、カント、ショペンハーウエル等の哲学者の名の頭文字を取ったものであるとか云われているが、明治中頃の事、青山忠允と房州の海水浴場で之を唄って鳳鳴健児が気焔を挙げていたのを、隣接の東京第一高等学校の生徒寮の学生に伝わり次々と東都の学生間に愛唱されるに至ったともいうから、当時生まれたデカンショの唄の歌詞と、学生が之によって気焔を挙げていた事実と併せ考えれば、囃の根拠はむしろ後者にあると考えられる。
いずれにしてもそれは昔からあったみつ節を其のまま座興で囃をシャレて作りかえたまでの事で、其の発祥はずっと古い昔にある事には間違いない。結局其のシャレた囃に時代的な魅力があり、人口に膾炙された訳である。
歌詞も当時学生であった当町出身元東京高等師範学校教授亘理章三郎の作が多いといわれている。

篠山町百年史(1980)

さて、"デカンショ"の語源については多くの説がある。

△古くからの盆踊り唄にある「ドッコイショ」の変化で、「デッコンショ」-「デカンショ」
△青山藩士たちがよく飲みあかし、唄い明かした事例がそのままに「徹今宵」―「テッコンショ」-「デカンショ」
△郷土出身者の「天下将」たらんとする心意気がそのまま「テンカノショウ」-「デカンショ」
△学生たちが、有名な三人の哲学者「デカルト」「カント」「ショウベンハウエル」の頭文字をもじったという「デカンショ」
△昔から丹波杜氏の出稼は有名で「出稼しょう」-「デカンショ」
△その他方言「デゴザンショ」やら、あるいは大きなこと「デッカイコト」しよう。

等々その根拠らしく、いろいろ伝えられていてなかなか巧妙である。
その語源がいずれにせよ「デカンショ」の語義そのものには特別には意味はなく、例えば炭坑節「サノヨイヨイ」や安来節の「エッサッサ」と同じ掛け声に相当するもので、「ヨイヨイ」や「ヨーオイ、ヨーオイデッカンショ」もハヤシ言葉にすぎず、ことさらに意味を持ち、また持たせる必要もないであろう。
東京在住の高田彰(篠山出身・鉄道員勤務=明治43,4年に「丹波戦史波多野盛衰記」発行・著書)が、明治44年に「デッコンショウ節」の歌詞を募集している。そして大正4年斉藤秀三(立町)がはじめて「デカンショ節」を編輯されている。したがって大正の極く初期には、「デカンショ」という文字にすべて定着したと見るべきであろう。

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