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七十五年史
から見る語源

「デカンショ」という囃の根拠は「出稼しよう」で酒屋出稼から生まれたものだとか、或いは又、東都に学ぶ鳳鳴出身の学生たちが、デカルト、カント、ショペンハーウエル等の哲学者の名の頭文字を取ったものであるとか云われているが、明治中頃の事、青山忠允と房州の海水浴場で之を唄って鳳鳴健児が気焔を挙げていたのを、隣接の東京第一高等学校の生徒寮の学生に伝わり次々と東都の学生間に愛唱されるに至ったともいうから、当時生まれたデカンショの唄の歌詞と、学生が之によって気焔を挙げていた事実と併せ考えれば、囃の根拠はむしろ後者にあると考えられる。
いずれにしてもそれは昔からあったみつ節を其のまま座興で囃をシャレて作りかえたまでの事で、其の発祥はずっと古い昔にある事には間違いない。結局其のシャレた囃に時代的な魅力があり、人口に膾炙された訳である。
歌詞も当時学生であった当町出身元東京高等師範学校教授亘理章三郎の作が多いといわれている。